大方洋二の魚って不思議!

写真を通して魚類の生態や海について考える

1990年 熱き時代

レトロブームのようだ。好景気に沸いたバブル時代の映像がテレビでよく流れている。確かに80年代後半は景気がよかった。バブルという言葉も、はじけて言われたように思う。80年代後半は「マリリンに逢いたい」「グラン・ブルー」「彼女が水着に着替えたら」などダイビング関連の映画がヒットしてブーム(?)になり、一般企業もダイビング事業に参入した。ブリヂストン、日産、NTT、西武、ヤマハ、丸井などで、その後ほとんど撤退したが、ブリヂストンはビーイズムとして独立した。また、大京観光や日新製糖などは70年代前半からダイビング事業を始めている。

1981年、サラリーマンからフリーの水中写真家になったぼくは、80年代後半からようやく食べられるようになった。好きなことを仕事にし、世間に認められ始めたのがうれしかった。

日航機内誌「ウインズ」(903月号)の ”地球絵はがき“で陸上の写真を掲載

 

そこで、最も熱かった1990年を振り返ってみたい。写真家は、写真展を開催し、写真集を出版して一人前と認められる、が定説。そうしたことで、2年前から写真展の準備をして、903月に新宿ニコンサロンで「素顔の魚たち」を開催した。これがきっかけという訳ではないが、この時期いろいろな仕事が舞い込んだ。

初めての写真展「素顔の魚たち」の案内状

 

日航の機内誌「ウィンズ」で “海に潜る” 特集をするので、全面的に協力してほしいとのこと。もちろんOKして海外ロケをした。ほぼ同時期に南西航空の機内誌「Coralway」も “海特集” をしたいというので、写真をたくさん貸した。

日航の機内誌と南西航空の機内誌

 

自身の本を出版するため、やはり1年前から作業を進めていて、5月に出すことができた。「大方洋二のダイビングガイド」(山海堂)で、フォトエッセイだ。この年さらに「海の環境別観賞魚図鑑」「サンゴ礁の華」(共に新星図書出版)を出した。ちなみに、翌年写真集「Marine Blue」(山海堂)を出版した。

「大方洋二のダイビングガイド」とその出版記念パーティー、「海の観賞魚図鑑」

 

また、ニコンサロンで開催した写真展を、調布パルコでも8月に開催が決まった。

さまざまな出版社もダイビング関連の本を出すようになり、それに伴いロケを依頼されることも増えた。伊豆半島をロケした「リゾートダイビング」(双葉社)、沖縄諸島を取材した「ダイビングハンドブック」(双葉社)、「日本縦断ダイビングスポット」(山海堂)など。

各出版社のダイビング関連書籍

 

航空会社も沖縄のパックツアーにダイビングを追加するようになり、日航のパンフレットに水中写真を貸していた。全日空では、ダイビングツアーそのものを会社で行う方針となり、広告代理店を通して撮影の依頼がきた。モデルが万座ビーチホテルで講習を受け、座間味島でファンダイビングをするというストーリーで、1週間のロケ。陸上・半水面・水中の3パターン撮影があるので、かなり大がかりだった。集客が多ければ翌年もパンフレットを作成する予定だったが、1シーズンで終了した。

航空会社のダイビングツアー用パンフレット

 

その他にも雑誌の連載やフォトセミナー、トークショーなども数多く行った。また、SWAL(南西航空)とJALは、ダイバーズアイランドキャンペーンを計画し、沖縄ツアーに「フィッシュウォッチングシール」をプレゼントするサービスを行うことに。それに伴い、魚の写真を貸すことになった。

1990年の年収は、サラリーマン時代のそれをちょっと超した。当時の連絡手段は固定電話、FAX、郵便だけだったが、それでも何とかやってこられてた。忙しいのはありがたいことだが、自分の写真を撮る時間が極端に減少した。やはり何ごともほどほどがいいと感じた。こうして、ぼくの熱き時代はほどよく冷めて行った。

ダイバーズアイランドキャンペーンのフィッシュウォッチングシール