大方洋二の魚って不思議!

写真を通して魚類の生態や海について考える

脱サラ40周年

サラリーマンを辞めて40年になる。カメラマンになるため辞めたのではなく、組織ならではの理不尽な面を多く見て嫌気がさし、後先考えずに飛び出したのだ818月末が退職日だが、最後の1か月は残りの有給で座間味に行き、ダイビングしながら今後のことを考えた。海を目の前にするとおおらかになり、「貧しくてもよいから好きなこと」という結論に達した。

滞在中偶然行われた、他の島から海人を招いて追い込み網の研修(81.8

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ダイビングはこれまで座間味が多かったので、同年9月に西表島へ行き、座間味と八重山諸島の違いを知った。10月『マリンダイビング』から取材の依頼で韓国の済州島へ行く。取材そのものは大変だがやりがいがある。しかし当時のギャラ設定に納得いかなかった。もう時効なので明かすと、5日間取材しても日当はなし。印刷されたページ数のギャラ(写真を貸した場合と同額)なので、微々たるもの。しかも使われた写真の版権は取られてしまう。割に合わないのでこのテの取材は引き受けないことにし、写真を貸したり原稿を書くことだけにした。

『マリンダイビング』822月号掲載の済州島の切り抜き

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プロになるにはまず撮影機材。ニコノスだけでは撮影の幅が狭いので、一眼レフを揃えることに。そこでペンタックスのハウジングをDIVに依頼した。だがすぐに弱点が見つかり、コンタックス用のハウジングも作った。弱点とはフィルム巻き上げで、時間がかかりファインダーから目を離さないと巻けない。で、当時唯一ワインダー内臓のコンタックスにした。

82年当時の撮影機材。左端がペンタックスで、隣がコンタックス

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マチュア時代から観賞魚雑誌『フィッシュマガジン』に「ダイバーから見た海水魚の生態」と題するコラムを連載したり、写真を貸したりしていた。また、フィルムライブラリーにも預けていたので、多少の副収入はあったが、さらにストックを増やす必要がある。海に行ってダイビングすればそれなりの費用がかかるので、座間味のダイビングサービスで手伝いをしながら撮影する方法を思いつき、夏の忙しい間だけ実行した。そんなある日、アンコウの仲間を見つけ、撮影後採集して魚類学者に鑑定を依頼した。数年後、新種と判明し、ミノアンコウの名が付いた。姿がおもしろいので、多くの一般誌にも写真が使用された。

839月『フィッシュマガジン』を発行している出版社・緑書房の社長から編集部で手伝ってほしいと頼まれた。海水魚担当の編集部員が退職するからだ。編集経験はないので断ると、できることだけすればいい、と言ってくれ、こちらの要望(当方の仕事優先)も受け入れてくれたので、OKした。当初は文字校正と写真整理で、しだいに原稿のリライトもするように。当時は執筆者が原稿用紙に手書きだったが、そのまま印刷には出せない。誤字脱字はもちろん、マス目に合うように直したり、文をいくつかに分けて小見出しをつけて読みやすくするなどの作業も行った。こうしたことが後々役立った。同年108日、三宅島が大噴火した。社長が取材しようというので、1か月後に訪れた。観賞魚雑誌がこのような取材をするのは前代未聞。社長が仕事をつくってくれたのだと思う。

『フィッシュマガジン』の表紙。真ん中がミノアンコウで、右が三宅島

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得意分野にしたいのは生態写真だが、そう簡単には撮れない。図鑑用の写真も商売上大切なので、それぞれ見極めてチャンスを狙うことに。また、魚のライフサイクルも撮りたいと思い、84年からトウアカクマノミを撮り始めた。繁殖期は初夏なので、その間は緑書房から座間味に代わる。また、このころから『フィッシュマガジン』の編集長が代わったことで内容も砕けた感じになり、新連載「大方洋二のトロピカルエキスプレス」がスタート。沖縄や海外に行ったときのエピソードをおもしろおかしく、という要望だったので、楽しく書かせてもらった。それに加え、さまざまな水中写真を掲載するページを増やしてくれた。一方で、75年に『ダイビングワールド』、80年に『ダイバー』(当初は季刊)が創刊したり、沖縄の新聞『沖縄タイムス』が海の生きものを連載するようになって写真依頼が来るようになり、しだいに仕事の幅が広がりつつあった。

高月山からの座間味港(左は1985年、右は2016年)

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写真家として一人前とは、写真集を出版したり、写真展を開催することといわれている。もちろんそれを目指してはいるものの、思うようにいかないのが現実。ようやく写真展『素顔の魚たち』(新宿ニコンサロン)が開催できたのは903月。9年目だ。同年5月には『大方洋二のダイビングガイド~ぼくの海底旅行~』(山海堂)を出版することができた。やっと一人前になったが、たくさんの人たちのお陰であることはいうまでもない。

写真展案内状と初めての著書

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