昔はサラリーマンをしていた。気兼ねなく長期に休める年末・年始は、よくダイビングに行っていたものだ。
座間味港(1982年元旦)
70年代後半からしばらくは座間味が多かった。暖かく過ごせることが第一の理由だが、風向きやその年で寒いときも当然ある。
しかし水温は毎年それほど変わらない。だいたい22℃前後だ。
座間味からの生中継の様子
82年1月2日の午前中、NHKで各地から生中継リレーする番組があり、座間味は海中からの放送だった。沖縄局の担当者が知り合いだったことから、エキストラで出演した。座間味の一つ前は伊藤みどりさんのフィギアスケートで、そのギャップを狙ったようだ。放送は数分だったが、無事終了した。
カメラを構えるのは、沖縄在住のフリーカメラマン新田勝也氏。
海中の風景(1966年)
50数年前は、紀伊半島の南端、潮岬に行っていた。このころは現地にダイビングサービスがなかったので、スノーケリングするのが目的。潮岬が気に入り、4年連続だった。夏にも行っているので、相当通ったことになる。
マダラトビエイ(1966年)
水温は約18℃。当時のウエットスーツは5mmのツーピースだったにもかかわらず、平気で海に入っていた。今では信じられない。このころはカメラ(ニコノス)はぼくのしかなく、友人と交代で撮っていた。したがって、被写体が人物以外の風景や魚となると誰の撮影かわからなくなる場合も多い。この写真もぼくが撮ったことになっているが、おそらくK.O君だろう。
8mmカメラを構えるK.O君(1967年)
K.O君はとても器用で、ムービーの8mmカメラ用のハウジングを自作している。それを構えているところをぼくが撮った。この後彼は改良型を作ったので、1号機をぼくが譲り受けて使った。
ここ数年、年末・年始は海に行っていない。ウエットスーツは6.5mmで保温性が高いにもかかわらずだ。あのころがうらやましい。