大方洋二の魚って不思議!

写真を通して魚類の生態や海について考える

沖縄本土復帰50年

2022515日、沖縄が復帰してちょうど50年になる。ということで、復帰した年のころに思いを馳せてみたい。ダイバーにとって沖縄の海は憧れなので、日本に返還される3年前(1969年)に一度行っている。

5月13日発売された沖縄復帰50周年記念切手

 

東京商船大学(現海洋大学)潜水クラブの合宿に同行したのだ。合宿とは名ばかりで、1か月かけて石垣と西表を巡るのだが、東京から移動は船やバス。現地ではキャンプ&スノーケリングという徹底した節約旅行。当時サラリーマンだったため、石垣だけ参加の12日間だった。東京から那覇まで2日かかり、石垣行きの船は翌日のため那覇1泊し、結局石垣まで4日かかった。

撮影機材はニコノス8ミリカメラを持参。写真は残っていないと思っていたが、プリントが1枚あった。また、帰りに那覇で切手を買っている。切手蒐集の趣味はないのだが、記念にしたかったのだろう。ちなみに帰りは飛行機で、那覇から東京まではノースウエストの国際便だった。

石垣の洞窟で食事中。石垣の海中風景。3セントの琉球切手(69年8月)

 

復帰後は197310月に訪れた。当時所属していたダイビングクラブを運営するダイビングショップが水中撮影業務を拡大するため、沖縄撮影旅行を計画し、ショップのオーナーとスタッフ、そしてぼくの3名で出発。那覇のショップにガイドと船のチャーターを依頼し、数日間潜った。持参した撮影機材は友人から借りたローライマリンとニコノス。スタッフはブロニカマリンを持って行った。6日間の日程の前半は本島東側の金武湾付近を、後半は西側を潜った。

ローライマリンで撮影中(東側の伊計島

 

最終日に真栄田岬で撮影中、水面を見るとマンタがいた。近寄るため浮上しかかると、目の前にカツオの大群が通りかかった。マンタよりも珍しいのでカツオにレンズを向けた。東京に戻ると、タイミングよく『朝日ラルース 週刊世界動物百科』の増刊号で魚類を特集することになり、リストにあったカツオの写真を貸し、掲載されたのだ。

朝日ラルースの掲載ページと表紙(743月)

 

その後沖縄へはやや間があき、19779月座間味に行っている。73年のときも座間味に渡る予定だったが、当時の港は整備されていなかったため、引潮時に連絡船は入港できず、日程と合わなかったのだ。それはさておき、このときの座間味が気に入り、座間味通いが始まった。

最初に訪れた慶良間諸島嘉比島に渡してもらって準備中(77年9月)