お祭りでもないのに屋台が並ぶ
手向けられたたくさんの花
東京都慰霊堂は近所ということ以外にも因縁のようなものがあり、親近感を覚える。というのも、ぼくが生まれたのは墨田区向島で、空襲のときは福島に疎開していた。そのおかげで命拾いしたわけだが、実家は焼失した。もし東京に留まっていれば、慰霊堂に納められていた可能性が極めて高いからだ。
すみだ平和と鎮魂の灯(05年8月)
「殺人」を犯して罪に問われるどころか手柄になる。これが戦争というもので、人を皆狂気にさせてしまう。