大方洋二の魚って不思議!

写真を通して魚類の生態や海について考える

隅田川の橋めぐり(後半)

隅田川に架かかった最初の橋は千住大橋1594年江戸時代初期で、以来、防備のために架橋を禁止していたようだ。しかし、1657年の明暦の大火の際、橋がなかったせいで10万人の死傷者が出たため、1660年ごろ両国に架けた。当初は大橋という名だったが、西側が武蔵国、東側が下総国と二つの国をつなぐことから俗に両国橋と呼ばれた。後に新大橋が架橋され、正式名称になったという。両国橋は流失、焼落、破損などで何度も架けられ、場所もずいぶん変わったらしい。現在の橋は、1932年に竣工された。

隅田川2番目に架かった両国橋

f:id:youjiuo:20210106171015j:plain

 

蔵前橋は、関東大震災後の復興計画として1927年に竣工した。江戸時代、この付近には年貢米などを貯蔵する御蔵があったことで、御蔵前という地名だった。その後蔵前になり、橋の名にもなった。

今は住まいから一番近い蔵前橋

f:id:youjiuo:20210106171113j:plain

 

蔵前橋の欄干には、力士のレリーフが施されている。以前は橋の西詰に蔵前国技館があったからだ。国技館跡は、現在東京都下水道局になっている。

蔵前橋欄干の力士のレリーフ東京スカイツリー

f:id:youjiuo:20210106171201j:plain

 

蔵前橋から両国橋のテラスの壁面は「隅田川テラスギャラリー」で、浮世絵の複製や絵図などが展示されている。地元小中学校の卒業制作もあった。本所中学校は海の生物をモチーフに。どうやら紙粘土で製作した魚類などを撮影し、ポスターにしたようだ。

海の生物をモチーフにした卒業制作

f:id:youjiuo:20210106171315j:plain

 

厩橋は、何度か作り替えられている。明治初期は木橋だったが、老朽化で鉄橋に変わった。しかし関東大震災で破壊し、その後復興計画で現在の橋になった。名前の由来は、西側にあった御蔵の荷物を運搬する馬車の厩(うまやと読み、馬小屋のこと)があったかららしい。

欄干に馬のレリーフが多い厩橋

f:id:youjiuo:20210106171418j:plain

 

駒形橋は蔵前橋と同様、復興計画で1927年に竣工した。駒形橋のそばに長年住んでいたので、最もなじみがあり、最も多く渡った橋でもある。橋の名は、西詰にある駒形堂からきている。

なじみ深い駒形橋

f:id:youjiuo:20210106171535j:plain

 

78年前『ナショナルジオグラフィック日本版』に駒形橋の写真が載った。1933年(昭和8)に日本を取材した際の写真だという。当時取材した記者は「モダンな橋で日本の建築技術は素晴らしい」と称賛したと書かれている。この記事を見て、同じ位置から撮ったのが右。若干アングルが異なるが、身長差なのだろう。

白鬚橋と両国橋の距離は約4.5キロ。2日間にわたってだが、往復したので9キロ歩いたことになり、いい運動だった。

駒形橋(左は1933年、右は2013年撮影)

f:id:youjiuo:20210106171832j:plain

ほとんどの橋は「こまがたはし」のように濁らないが、両国橋だけは「ばし」になっている。どうしてなのかはわからない。