大方洋二の魚って不思議!

写真を通して魚類の生態や海について考える

戦争と平和について

終戦70年ということで、戦争に関する特別番組や映画、催し物が多い。開戦当時、軍事力や資源など米軍とだけを比べても雲泥の差だったにもかかわらず、戦争を始めたのはなぜなのか。国民は反対できなかったのか。お国のために死ぬとはどういうことなのか。終結はなぜ遅れたのかなど、そのときの状況を知りたくて戦争ものはできるだけ見るようにしている。


「すみだ 平和と鎮魂の灯」のチラシ

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815日、都立横網町公園で「すみだ 平和と鎮魂の灯」が開催された。サブタイトルには「すみだから伝えよう 平和の大切さを」と書かれている。というのも東京大空襲墨田区の大部分は焦土と化し、犠牲者が多かったからだ。亡くなられた方々の遺骨が横網町公園内の「東京都慰霊堂」に安置されている。







赤が向島の焼失域(東京大空襲資料展より)

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ぼくは昭和171942)年2月に東京の向島区吾妻町(現在の墨田区京島)で生まれた。もちろん記憶はない。物心ついたときには、疎開先の福島県にいた。疎開したのはたぶん2歳くらいだろう。福島にもB29による空襲があり、防空壕に入ったのを覚えている。むろん東京大空襲で生家は焼けた。








東京大空襲の写真(復興記念館の展示より)
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戦争は悲惨、残酷、二度と繰り返したくないもの、との声をよく聞くが、敗戦したからそう思えるのだと思う。焼け野原や焼死体の写真を見てそう思えるのだ。もし勝っていれば、そんな考えには及ばないはず。「平和」とは、戦争がなくて世が安穏であること、と辞書にはある。本当にそうだろうか?








真珠湾攻撃を報じる朝日新聞の復刻版
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戦争をしていても勝っていれば、誰もが「平和」を感じていたような気がする。その証拠に、'41128日に真珠湾を奇襲して開戦後、約1年は日本軍は優勢で、戦果を上げるたびに国民は歓喜し万歳と叫んでいたようだ。戦場が遠い所(南洋の島々や海上)であれば、他人事として捉える傾向が強い。新聞の見出しの「敵機百を撃墜」「米戦艦撃沈」で多数の死者が出ているはずなのに、悲惨とか残酷という気持ちは微塵もなかったと思う。戦争を実感したのは、おそらく疎開を余儀なくされたときではないだろうか。






すみだ 平和と鎮魂の祈念灯篭
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戦争は勝っても敗れても悲惨しか残らないし、正しい戦争なんてない。戦争を決め扇動する人たちは、戦場の最前線には行かずに命令するだけだ。戦争を起こさないためにはまず史実を知り、そして政治に関心をもつことではないだろうか。