大方洋二の魚って不思議!

写真を通して魚類の生態や海について考える

昔のパラオ

戦後70年。この節目の年の4月、天皇皇后両陛下がパラオを訪問されることが決まった。若い人は知らないだろうが、昔パラオは日本が統治し、海軍基地があったために太平洋戦争で攻撃の標的となり、戦没者が大勢出た。今回のご訪問はその慰霊が目的。


パラオの上空。海岸線は複雑

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実はぼくの初海外がパラオだった。'73年だから42年前のこと。観賞魚の雑誌『フィッシュマガジン』と旅行社が「海水魚採集ツアー」を組んだ。パックツアーが出始めたころで、それに誘われたが、目的が異なるので採集者と一緒は無理。そこで日程をずらしてもらい、ダイバー4名で行った。






簡素なパラオ空港
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そのころのパラオ空港はものすごく質素。滑走路は土を固めただけで、待合室はわらぶきの小屋。出入国手続きもここで行った。










『フィッシュマガジン』'73年4月号
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当時ぼくはアマチュアだったが、撮影した写真を『フィッシュマガジン』で掲載してくれることになり、「パラオの魚たち」という紀行文も書いた。これがきっかけで『フィッシュマガジン』と縁ができ、連載もするようになった。








ブラックフィンバラクーダ('89年撮影)
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当時の水中写真は出来が良くないうえ、色褪せたために捨ててしまった。陸の写真が数点残っているだけ。それにしてもそのころはダイビングの施設もなく、当然ダイビングガイドもいなかった。タンクはサルベージ会社から借り、釣り用のボ-トをチャーターし、適当なところで潜った。






インドオキアジ('89年撮影)
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それから16年後の'89年に行くと空港は立派になっていて、サルベージ会社のKさんはダイビングサービスを経営していた。このころからパラオを訪れるダイバーが増え、ダイビングサービスもたくさんできた。また、航路もグアム経由で不便だったが、現在は長い連休がある時期には直行便が出ている。ずいぶん変わったものだ。