須賀氏の著書『ニッポン潜水グラフィティ』にも書かれているが、小名浜で沈没した空光丸の行方不明者捜索のバイトをし、中身のカメラを買った。
当時はニコノスが主流で、よく写らないのはピントが目測でパララックスがあるためと、カメラのせいにするダイバーが多く、ぼくもそうだった。高級一眼レフのブロニカを使えばきっと、と思っていたが、あまり変化はなかった。
テングダイとダイバー(伊豆大島 '70年)
テングダイと水中銃を持つダイバー。当時としては当たり前の光景だった。'70年ごろ伊豆大島の野増でクラブの魚突き大会があり、そのとき撮ったもの。ピントがやや甘い。
スクーターに乗るショップのスタッフ(真鶴 '71年)
当時は個人的に潜りに行くのは困難な状況で、ほとんどはダイビングショップが運営するクラブに所属していた。親睦会と称して月に1回程度、貸切バスで真鶴などに行っていた。このときは水中スクーターの試乗会も兼ねていた。
マトウダイを動画で狙うダイバー(真鶴 '72年)
クラブ員に器用な人もいて、8mmカメラのハウジングを手作りして持ってきた。
ブロニカの標準レンズは75mmだが、水中用としては50mmレンズを使用するようなハウジングの設計だった。35mm判に換算すると28mmくらいだろうか。ハウジングのポートはフラットなので、撮った写真を大きく拡大すると四隅が流れている。後に発売されたスガブロニカマリン R116 はドームポートを使用。四隅の流れは軽減された。
アンコウとダイバー(真鶴 '74年)
真鶴にアンコウがいた。一緒に潜っていたショップのスタッフが、なぜかカメラでつついた。驚いたアンコウが逃げ出したところ。
撮影年月を調べたら'74年だった、ローライマリンを使い始めた時期なので、もしかしたらブロニカではないかもしれない。