大方洋二の魚って不思議!

写真を通して魚類の生態や海について考える

48年前のスクラップブック

古いスクラップブックが出てきた。ダイビングに関する新聞の切り抜きで、'68年から約8年間のものが貼ってあった。当時ダイビングの情報はとても少なかったので、片っ端から集めていた。'68年に返還された小笠原の海中の取材記事が多い。


海中クリスマスパーティー'74年、真鶴)

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そんな中、ぼくが関わったものもあった。真鶴で開催したクリスマスパーティーの記事だ。写真だけではなく、文も書いている。昔はダイビングショップがPRのため、メディアをよく活用していた。これは東京中日スポーツ紙。
















番組ロケの記事と当時のスナップ('74年)
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東映の女優・池玲子は「ポルノの女王」といわれていたが、初めてテレビに。それがTBSの特別番組「残された碧い海~ニューカレドニアの青春~」で、セミドキュメンタリー番組だったため、話題になった。実はこの番組で水中撮影を担当した。池玲子がスノーケリングする姿や、ニューカレドニアの海中を紹介するシーンを16mmフィルム撮影機で映した。ビデオカメラがまだなかったのだ。ロケを終えてからポートレートを撮らせてもらった。19歳とは信じられない。






アワビ漁解禁の記事('76年、白浜)

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千葉県白浜のアワビ漁解禁の記事。水中写真はぼくが撮影した。東京新聞社の知り合いが取材するというので同行したのだ。











 夕刊フジの記事('74年)                                                             

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掲載されているのは17歳の阿部まり子さん。彼女とは不思議な巡り合わせが。全日本水中スポーツ選手権大会に彼女は何度か出場して上位入賞を果たしたので、写真記録係だったぼくとは面識があった。また、ぼくが勤務していたコカ・コーラ(株)の製品「スプライト」のテレビCMに出たり、富士市から五反田に転居して品川区のミスコンに選出され、東京新聞社に表敬訪問した際にぼくの知人と会い、一緒に真鶴でダイビングすることに。




三宅島にて('78年)

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その後、ぼくのダイビンググループに加わってくれたりして交流が深まった。そして写真を撮って欲しいと言われ、三宅島に行って15mmレンズつきのニコノスで、モノクロを数本撮影した。そのうちの1枚がこれ。
勤めを辞めたのは'81年なので、全部アマチュア時代のもの。当時はまだダイビング自体珍しかったので、人物撮影がほとんどだった。